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勘違いバリュー投資家が真のトレーダーになるまでの物語

大学時代に部活を辞められなくてバックレ退部した話

以前、内定辞退の話を書いた。

「内定辞退に正しい方法などなく、その意図をメールなり電話なりで伝えれば良い」と言うことを書いた。

かなり昔の話になるけれど、私にも似たような経験がある。

内定辞退ではではないが、大学生のころ、入部した部活を辞めたくても認めてもらえずにバックレに近い形で退部したことがあった。

 

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入部まで

私が大学に入学したころ、部活動/サークル選びで悩んでいた。

様々なサークルの勧誘を受けるこれといった決め手がなく、たくさんの選択肢があるがゆえの悩みに直面していた。

人見知りが激しかったため、新歓コンパにすら参加できず、興味のあるサークルがあってもビラの新歓担当の連絡先に電話することができなかった。

そういう訳で、4月になっても入部どころかサークルの新歓活動にすら参加できいなかった。

3月下旬に部活やサークルに入部したクラ友の話、入部数制限のために新歓活動を終えたサークルの話なども聞くようになり、焦りがじわじわと心を侵食した。

早期入部特典があるわけではないしそもそもサークルなんて入らなくても結構なのだから、今思えばそんなに焦ることもないのだが、文武両道の”充実”した大学生活を送りたいと考えたいた私にとっては死活問題だったのだ。

 

そんな中、予備校時代の友人で同じ大学に進学したKと夕食をとる機会があった。

上京・入学したばかりで右も左も分からない中、気の置けない友人がいることはお互いにとってありがたく、始まったばかりのお互いの大学生活における希望なんかを話したのだと思う。

サークルについて相談したところ、彼はすで3月下旬に体育会の応援団に入部していた。受験期に一緒にエロゲをして遊んでいた彼の普段の言動からはちょっと想像もできないことだったので驚きであった。なんでも、新入生歓迎イベントで声をかけられ、そのまま新歓コンパに参加し、その場で入部宣言をしたとのことだった。

応援団の新歓に来てみてはどうかと提案した。彼曰く、先輩はいい人ばかりだし楽しいし、新歓ではタダメシを食べられるらしい。暇を持て余しているし、友達もいないし、カネもない。断る理由はないのだ。そういう訳で、応援部のコンパに行くことにした。

 

私が参加した応援団の新歓コンパは学内の食堂を貸し切って他の体育会と合同で行われていた。

新入生が未成年なので酒は出されていなかった。なんでも、新歓で酒を出すとペナルティがあるらしい。

 

Kの紹介で応援団の部長に挨拶をした。それほど背は高くなく優男と言った感じだった。

「彼も応援団に興味があるんです」とKは私を紹介した。

「そうか。応援団のことはKから聞いたのか?」

「はい」

部長は「そうか」と答えると、そばにいた小柄な団員N(学ランを着ていたので一目でわかった)を紹介した。Nは部長に呼ばれると「ハイ!」と大きな声で返事をしてすぐに部長の足元に駆けつけた。私を勧誘せよとの指示を受けたのだろう、Nは応援団の素晴らしさを私にとうとうと説いた。ここに入れば充実した生活を送ることができる、バイトもできる、学内に友達や人脈がたくさんできる、勉強も両立できる(事実Nは成績優秀だった)、などなど入学したばかりの新入生が不安に思う内容を解消するような話ぶりだったため、入る気がほとんどなかった応援団に少し興味が湧いてきた。「Kみたいにすぐに入部宣言をする必要はないからしばらく新歓活動にきてみたらどうだ。4月いっぱいやって、よかったら入部すればいいんだから」とのこと。入部には不安があったが、すぐに決めることでもないので新歓に行くくらいならと思って連絡先を交換した。Nと話した後は合同コンパ共催の体育会(確かホッケー部だったと思う)の話を聞き、ただ飯と知り合いの開拓に楽しんだ。なお、この時に限らず新歓期に出会った人々は全て、連絡先に登録しているが誰だかよくわからない微妙な知り合い、となった。

 

その後2週間ほど、応援団の新歓活動に参加することになった。合同コンパでは知り合いが増えている感じがして楽しく、自分が大学生を満喫していると感じられた。体験練習会では和気藹々とした雰囲気で様々な振り付けを教えてもらい、ちょっとした仲間意識を感じて心をくすぐられた。先輩方がステージで演武をする姿に心惹かれた。自分もいつかああなれるのだろうか。かっこよくなりたい、そう思った。

 

Kや私以外にも一人の入部希望者のAが出てきて、結局そのまま3人が入部することになった。私とA4月の中旬に入部宣言をして、GW明けの5月上旬から正式な応援団員として活動することになった。

入部宣言はOBも集まる飲み会で行なった。特に入部したいと誰かに言ったわけではなかったが、そこで入部宣言をすることになっていた。飲み会の途中、Nがそっと寄ってきて「お前の入部宣言、せっかくだからここでしろよ」と言って、入部宣言の宣誓?のようなものを暗唱させられた。いよいよ私の番になり、両手が汗で湿った。

 

私の入部宣言は隣に座っていた酔っ払ったOBからやり直しが入ったが、一応、入部を認められることになった。元来のコミュ障と緊張でなかなか声が出なかったのだ。「なんだこいつは」と、ちょっと場の雰囲気が悪くなる。Nが「Zoracは人と話すのが苦手みたいで。そう言う自分も変えたくて入部してくれたんですよ」とOBたちに説明してくれた。

 

NAともかなり仲良くなって、私のアパートに遊びにきて食事をしたり、エロゲオタクだったAにエロゲを借りるなどした。余談だが、これをきっかけにキモオタクとしての大学生活を送ることになる。

女子部員も増えた。同じ語学のクラスを取っていたHが入部したことは特に心強かった。

正式な活動開始が待ち遠しかった。

唯一の懸念は、両親が猛反対していたことだった。

「応援団だけはやめておけ。ヤクザと一緒だよ」

心から応援団に心酔していた私には全く響かなかった。何を心配しているのだろうか、先輩たちは優しく接してくれている、ヤクザなんて言い草は失礼だ。

 

そして、私はすぐにその意味を知ることになる。

 

活動前夜

初めての練習を間近に控えたある日、Nが同じ2回生の先輩を連れて我が家に来た。KやAなどの同級入部組も一緒だった。

「入部前の注意事項を伝えておこうと思って」といい、練習や普段の接し方について下記のようなことを言った。

・練習や日常生活で応援団の先輩と会ったら必ず「こんにちは」「失礼します」をいうこと

・一人称は「僕」

・応援団として恥ずかしくない振る舞いを心がけること

・練習で習っていないことを(振り付けやセリフ)を行わないこと

他にも細々と言っていた気もするが、主には上記の4点だったと記憶している。

これらのことは応援団の人々と接する中でわかっていたことだったので、特に驚きはなかった。

特に日々の挨拶については、先輩の視界に入って「こんにちは」、先輩の視界から出て「失礼します」なので、自転車ですれ違った時などは「こんにちは失礼します」と2つの挨拶がつながってしまうことが多々あり、タイミングが難しかった。当然、このタイミングや声量についても2回生から指導があったことは言うまでもない。

Nたち2回生は私たちの直接の指導係となっていて、応援団の連絡事項や指導は彼ら経由で私たちに伝えられた。その上の先輩たちから直接声をかけられることはほとんどなかったのだ。

 

初練習

初めての練習は、GWあとの快晴のグラウンドで行われた。

Nに指定された時間に部室へ入り、いつものように大声で挨拶した。

「こんにちはーーーっっっ!!!!」

大声というよりも絶叫だ。「おはようございます」ではない。絶対に「こんにちは」なのだ。

2回生と一緒に練習の準備をして、他の先輩たちよりも一足先に練習場所のグランドへ向かった。事前に団長が考えた練習メニューに必要な道具を揃え、準備をするのだ。今は2回生が手伝ってくれているが、いずれは1回生だけでやることになるのだ。

 

練習中、まず感じたのは違和感だった。今までずっと優しかった団長や他の先輩部員の面構えが変わる。体験練習会のような和気藹々とした雰囲気は一切ない。

まずはランニングだ。大学を出て、街中を絶叫しながら走り回る。絶叫は必須だ。足を止めるはいけない。信号待ちで止まっているときは声出し。おかしい、なんだこれは。こんなものは見たことがない。普段運動の習慣がなかった私は当然ついていけず遅れ出す。すると、3回生の先輩が私のところまで来てくれてずっと後ろで励ましてくれる。「おい、まだまだやれるだろ!がんばれよ!」なんやこの人さっきまでめちゃ怖かったけどポジティブでいい人じゃないかと思う余裕もなく、走り、声を出し続けた。

結局、私は諸先輩がたに大幅に遅れてゴールした。息も絶え絶えだったが、少し休む時間が与えられた。

「ああーお前ら恥ずかしくないのか!!!」

と副団長の怒鳴り声が聞こえた。どうやら、2回生のうち1人が1回生のAよりも遅くゴールしてしまったらしい。Aは受験期もずっと走り込んで体力をつけていたと言っていたので、我々からしたらまあそういうこともあるだろうなという感覚なのだが、応援団的には許せなかったのだろう。我々が次のメニューを行う中、2回生は全員が連帯責任で手押し車でグラウンドを回り続けていた。

色々と部内ルールがあるようだった。団長が見本を見せるときは部員が並ぶ位置や団長の練習位置を指定するために水の入ったペットボトルをおくらしかったのだが、それは1回生の役目だった。団長は見本を見せる際に1回生がペットボトルを配置するのを待っていたが、私たちは当然そんなことは知らないのでポカーンと突っ立っている。疲れで頭がほとんど働いていなかったのもあるだろうが。そしてその役目のことは2回生がきちんと私たちに指導していなければならなかったらしい。なんでお前たちは必要なことを教えていないんだと2回生たちがまた怒鳴られた。鉄拳制裁はなかったが、額を突き合わせて怒鳴られている姿は恐怖でしかなかった。

 

体力の限界を超えたところでまた練習させることはデフォルトなのだろう。

演舞は拍手が基本だった。ただの拍手ではない。背筋を伸ばして肘を直角に立て大きく肩を開いて思いっきり両手を叩きつける。数回で手の感覚がなくなるし、続けると肩がおかしなことになる。当然、絶叫もセットだ。これをひたすらやると頭もおかしくなる。先輩たちもそうだったのだろう、「Zoracううううううううううう!!!肩が下がってるぞ!!!!!うあああああああああああ!!!!」と2回生が額をくっつけてくる。謎の高揚感、宗教的恍惚感とともに私も叫ぶ。「ああああああああああああああ!!!!!!!!!」

先輩たちも気分がアガり、思いっきり額をぶつけてくる。もはや頭突きだ。「んんんああああああああああああ!!!」

ガシャーン!

先輩から頭突きを受け、私のメガネが破壊されて地面に落ちた。それを拾うことも許されず、ひたすら拍手と絶叫を強制される。

あれ?

メガネが壊されたことでふと冷静になった。

こんなことやるために、私は入部したんだろうか、と。

「あ、これおかしいわ。やってらんねー」

方針転換するなら早い方が良い。

始めての練習で退部する意思を固めた。5月上旬のことである。 

 

退部の意思をを伝える

初回の練習で感じた違和感は2回目の練習で確信に変わった。確かに演舞をする先輩たちはかっこいいけれど、理不尽な上下関係や精神主義が跋扈する団体にこれから先も居続けるのは難しいのだろう、と感じた。そういう団体もあるのだろうが、私には合わない。

練習後、そういう素直な気持ちをNに伝えた。

「応援団をやめたいです」と。

すぐに2回生から呼び出しを受けた。

「俺以外にこの話を先輩にした?」とNは聞いた。

「いいえ、してません。Nさんだけです」

「そうか。よかった。団長たちには俺から言う。ところでなぜやめたいの?」

応援団を辞めたい理由を端的に伝えた。兼サーしていた他のサークルの活動に参加する余裕がないのも理由の一つだった。

 

当然、Nからは引き止めを受けた。

それは当初思っていたよりも非常に強い引き止めだった。応援団の素晴らしさ、辛い時もあるけど楽しいこともある、などの言葉があったが、私の決意は揺らがなかった。

なんでも、応援団では退部するときは全ての部員に納得してもらわなくてはいけないらしい。

今思えばそんなルールは無視してばっくれてしまえばいいと思ったのだが、当時の私は真面目だったのだろう。全ての先輩と退部に関して面談をすることに同意した。

2回生、3回生、4回生、すべての人と退部について面談した。

特に記憶に残っているのは3回生だった。

それは大学近くのガストで行われた。私1人と怖い3回生3人である。1人1品オーダーしなくてはならないのだが、特に食事をするために集まったわけではないので、先輩たちは一番安いほうれん草のソテーをそれぞれ頼んだ。先輩のおごりだとわかっていたので(そう言うルールの団体だった)私は空気を読まずにチーズハンバーグを頼んだ。

Nと同じように応援団の素晴らしさについて語られた。

学内に友人が増える、自分を変えられる、OBの就職先も良い、今いる応援団の部員も皆楽しんでいるぞ、など。辞める意思を固めた私には生存バイアスにしか思えなかった。

私は4人がけの席の奥に座り、3人の先輩たちに囲まれてだったが、ここでも私は自分の意思を貫き通した。

 

でも、部員全員との面談では退部が認められなかった。

「お前の理由では退部は認められない。特に、応援団の楽しいところを知らないのだから」と言うことだった。応援団の楽しいところというのは、実際に応援したり、学内コンパをしたりを指すらしい。

自分のことなのに辞めることすら私には決定権がないのか。それはあまりではなかろうかと思ったが、先輩も怖かったのでこれを押し通すことができなかった。

この後すぐに楽しい「新歓旅行」があるからそれに参加した後で判断してほしい、とのことだった。

 5月中旬のことである。

 

新歓旅行

5月下旬の新歓旅行の行き先は隣県の山奥だった。

楽しいイベントとのことであったが、まさに地獄であった。

遊園地やそばうち体験など、確かに楽しそうなイベントはあったのだが、応援団の通常ルールに加えて下記のルールが適用されていた。

・電車では先輩たちとボックス席に座らなければならない

・先輩たちが「食べろ」といったものは全て問答無用で食べなくてはいけない

・移動中はずっと喋らなくてはいけない

・就寝時以外に寝てはいけない(移動中など)

 

びっくりしたのが宿でのコンパである。コンパ前には段ボール箱に大きなビニール袋をかぶせ、新聞紙を中に詰める作業を行った。何をしているのかと先輩に聞くと「ゲロ箱」とのことだった。コンパ中に吐瀉物を吐く箱をあらかじめ準備する必要があるのだ。これを複数個準備してコンパ会場に設置した。

私を含めて新入部員はみな未成年だったが、当然、飲酒を強要された。当時は遵法意識が高く(大学でも未成年飲酒については厳しく言われていた)、あらかじめ体調が悪いと伏線を張って断っていたが「先輩の酒が飲めないのか」と言われてあまり意味がなかった。先輩の酒は断れず、空になった先輩たちのグラスに酒を注ぐ。泥酔した先輩たちはゲロ箱に向かう。気の置けない「楽しい」飲み会なんてものではない。普段の生活や練習の中に酒が入っただけのただの悪質な飲み会でしかなかったのだ。

 

翌日、皆が二日酔いであった。帰りの観光バスでも生きの電車のように先輩と同じ席に座らされ、ひたすらに喋るか歌うか(アカペラ)を強要された。

そんな環境で私が正気を保って入られたのは「早く帰って退部を宣言して家で寝たい」と考え続けていたからだった。

 

帰りのバスが部室につき、解散となった。

さっと団長のところへ行き、「新歓旅行も参加しましたが考えが変わりませんでした。申し訳ありませんがやめます」とだけ伝えた。部室で一度話そうと言われたが、「結構です」とだけ伝えてそのまま帰宅した。

 

その2日後に学内コンパが予定されていた。これも「退部前に体験しておくべき楽しいこと」と言われていたが、私は先日の退部宣言を持って退部したつもりだったので行く気はさらさらなかった。集合時間にNから電話が入っていたが、当然無視した。

 

その後、私に応援団から連絡が来ることはなかった。

 

後日談

退部の意思を示してから実際に辞められるまで2、3週間かかった。

彼らからすれば少ない新入部員に辞められるわけにはいかなかったのも理解できるが、今やったらオワハラで問題になるかなとも思う。

学内で応援団や体育会の人とすれ違うのが怖く、しばらくはビクビクして過ごした。

その後、応援団を辞めた私は、運動をしたかったのでサークルを探した。ほとんどの体育会は応援団と関係があったので、応援団と関係のない新興体育会かサークルに絞った。残念ながらほとんどの団体が新歓を終了していたが、6月にも新歓をやっているマイナースポーツの団体が目に入り勇気を出して連絡した。何度か新歓活動や練習に参加した結果、予想外に面白かったのでそのまま入部した。応援団のことがあって入部後のギャップが不安だったが、特になかった。

結局、私はこの部活で4年間を過ごし、最終年次には部長になった。卒業して10年近く経つ今でもこのスポーツを続けている。社会不適合者の私を受け入れてくれて、いまだに交流を続けてくれているこの部活の先輩や友人たちには感謝してもしきれない。この選択に後悔は全くない。

 

Kも私が辞めた直後に退部した。Kはブログに不満不平をぶちまけており、それが部長たちの目に止まって「お前は自主的に辞めさせない。俺が辞めさせる」と言われたらしい。本人は願ったり叶ったりだったようだ。羨ましい。

私も同じことをしていたが特にそう言うことは言われなかった。運が良かったのだろう。このときに反省してSNSに手を出さないと決めていればその後の私の人生のトラブルはなかっただろうと思うと残念でならない。

 

応援団の人たちとは学内ですれ違うことはあっても、言葉を交わすことは全くなかった。同じ語学のクラスの応援団部員とはきまずくなり、私は語学のクラスをフェードアウトし、これはぼっち大学生のきっかけとなった。

 

大学を卒業して働き始めても私は母校がある街に住んでいた。

卒業後3年が過ぎての学園祭の日のことだ。

学園祭は街全体が活気づく。

久々に学園祭に足を運び、応援団の演舞を見た。

演舞は入学時に見た時のように、とても鮮やかで魅力的だった。演舞をする応援団員、それを見ている観客が一体となって盛り上がっていた。あんなことはこの大学で他にないのだ。

まあ、私には向かなかった。やり方が、考え方が、私には全く合わなかったのだ。それだけのことだ。

自分に言い聞かせるように言った。

演舞が終わり、学生時代の友人と近くの店で酒を飲んだ。ちょっと酔っ払いながら帰宅の途につくと、同じように飲み過ぎた大学生が街にあふれていた。

秋の夜風を胸いっぱいに吸い込みながら歩いていると、ふと声をかけられた。

「おい、おまえZoracだよな」

それはNとNの同期だった。N以外は私を睨みつけるように見ていた。Nは泥酔して歩けなくなった女性の同期を介抱していた。

「お前、留年してまだ大学にいるのか?」

「いや、私は4年で卒業しました。今は働いてます。ただ、ここに住んでいるだけです」笑いながら答えた。風の噂でNが就職留年したのは知っていた。

「そうか。お前、○○部に入って部長やってたんだって?すごいな!よかったな!」

Nからかけられたのは思わぬ言葉だった。

ええそうなんです、ありがとうございます、と会釈をしてその場をそっと立ち去った。

最後に応援団を辞めたあの日から、応援団の人と話すのはこれが初めてだった。

ちょっと考え事を帰宅した。

 

 

本当に、応援団は私に合わなかったのだ。